今こそ「ラブライブ!」 〜ラブライブ!サンシャイン!!と私たちのツナガリ〜
はじめに
「ラブライブ!ってなに?」
…なんでしょう、私には適切なアンサーが見つかりません。
コンテクストの飽和状態をとうに越え、本当に今この地球上に存在する言語だけで、その核心たる「ラブライブ!性」に説明がつけられるのか定かではありません。
ただ、今この瞬間にこそ、この課題に挑戦するべきなのではないかと考えています。
今回の企画では、全4回にわたり皆さまとお付き合いできればと思っております、何卒。
Contents
青春追体験装置としてのコンテンツ「ラブライブ!」
シカコ「わたしには青春時代なんて言えるものはなかったし、おそらくこの映画を見てくれる方もそういう人が多いんじゃないかと思うんですけど……でも、ラブライブっていう作品は、そんなわたしでもまるで青春を体験したような気持ちにさせてくれる」 https://t.co/YnDp6eppus
— とんどる (@tondol) 2015年8月8日
劇場版ラブライブ! The School Idol Movie 公開記念舞台挨拶にて、久保ユリカさんはこう発言されました。
ラブライブ!は、μ’sのメンバーとそれを取り巻く人々を通して同じ物語を共有する「青春追体験装置」なのです。
この「青春追体験装置」に関して、「みんなで頑張ろう!」というような全体主義的イデオロギー。
そのような思考をを好まないであろう人々が、何故彼女たちの物語を追いかけるようになったのか。ということに関しては以下の記事で詳細に述べられております。是非とも御覧ください。
μ’sによって私たちは多くのことを経験することができました。
ホントにスゴイよ、μ’s。ありがとう、マジで神。μ’sは最高。
これらの言葉、同意です。ホントに。
そんなキモチを抱く一方、劇場版で穂乃果はこんなことを語っていました。
凄いのはA-RISEやμ'sだけじゃない。スクールアイドルみんななんだって!
決してμ’sやA-RISEが特別でなければ、神格化されるような存在でもない。
どこにでもいるような女子高生が巡り会い、切磋琢磨しあうという点。
この世界に存在する数多のスクールアイドル全てに対して、この条件は等しく当てはまることなのでしょう。
それではラブライブ!って結局何なのか?
ひょっとしたら、筆を置いた時点で何もわからないかもしれません。
それでも、1stライブが目前に迫ったこの瞬間にだからこそ見えるものがあるかもしれません。
ラブライブ!サンシャイン!!と私たちのツナガリ
さて、今週末にはラブライブ!サンシャイン!!の1stライブがありますね。というか今日です。
幸か不幸か、同じく「ラブライブ!」という名を冠した(そして冠された) Aqoursのメンバー18名。
彼女たちこそ、μ’sの「伝えたかったこと」の素晴らしさを裏付ける存在なのではないかと考えています。
私たちファンとの距離において、μ’sとAqoursの間には決定的な違いがひとつあります。
それは、Aqoursは私たちと同じステージに立っていた、そして立っているということです。
ラブライブ!サンシャイン!!の物語、思い出してみてください。
… きっと、スクールアイドルを始める前の彼女たちの一挙手一投足に、「頑張って欲しい」「応援したい」と思わずシンパシーを抱いてしまうのではないでしょうか。
Aqoursのメンバーも当初、μ’sに憧れ、μ’sの物語を追いかけた、私たちファンの側に居たのでした。
ひょっとしたら、ラブライブ!を観て「自分はこんなに輝けない」と思った方もいるのでは。
年齢、性別、職業、容姿、交友関係。私たちの日常を枠に抑え込むものは沢山あります。私たちはμ’sのようにステージの上でスポットを浴びることもなければ、これから高校生活を送ることもできない。あくまでμ’sはμ’sであって、私たちとは生きているステージが違うんだ。
それって、Aqoursも一緒でしたよね?
劇中の高海千歌ちゃんの台詞にこんな言葉がありました。
私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。 どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。
それでも何かあるんじゃないかって。思ってたんだけど。 気が付いたら、高2になっていた。 マズ。 このままじゃ本当にこのままだぞ。 普通星人を通り越して、普通怪獣チカチーになっちゃうー。 そんな時出会ったの、あの人達に。 皆、私と同じようなどこにでもいる普通の高校生なのに、キラキラしてた。
Aqoursも私たちと同じで、μ’sの輝きを目の当たりにして燻っていたのでした。
「気が付いたら、高2になっていた」なんて言葉は本当に一人の女子高生としても、そして社会にポツンと置かれた一人の人間としてもリアルに響きます。
「気づけば会社の歯車になっていた」
「あの頃はオモチャが好きだったのに、気づけば身体だけは大学生になっていた。もう時間がない」
とてもリアル。
そんなとき、千歌ちゃんとAqoursはμ'sに出会い、変わりました。
この記事を読んでくださっている方全員が同様に、μ’sによって過去にどこか「救われた」ことを願うばかりです。
しかし、過去の千歌ちゃんのように、今もどこか、ぶつけどころのない感情を持っているかもしれません。
ただ、Aqoursは一歩踏み出しました。
私たちが抱いているものと同じ感情を抱き、同じ地面の上に立って生活している18人のメンバー。
「μ'sのように輝きたい」
「あんなふうに一生懸命で、楽しい毎日を送りたい」
そんな願いのもとに、小さくとも大きな一歩を踏み出したのではないでしょうか。
Aqoursはμ’sよりも、私たちのココロに寄り添って、一歩一歩を踏みしめていくことでしょう。
何故なら、彼女たちも元は私たち側の人間だったから、そして同じ道を歩もうとせずとも、今もμ'sのファンに違いないからです。
第12話で千歌ちゃんが自室に貼ってあったμ'sのポスターを剥がしたのは、憧れることを辞める決意表明が行動に現れたもので、μ'sのことを嫌いになったなど考える人は到底出てこないでしょう。
μ’sによって過去に救い切ることができなかった人々を、そして彼女たちが歩んだ道を、「私たちも同じだよ、だから一緒に歩いて行こう」と明言せずとも、どこかでそれを「証明」してくれる存在にAqoursはなるかもしれません。
今こそ「ラブライブ!」
現に、以前からラブライブ!のファンであり、ライブにも足繁く通っていた伊波杏樹さんがその例ではないでしょうか。
「ラブライブ!」の名前を冠され、1stライブから横浜アリーナという期待とプレッシャーを抱えていることだろうAqours。μ’sがあれほどの成功を収めた以上、μ’sとは別物だとわかっていても、どこかμ’sと比較されてしまうこともあることと思います。
それでも、私たちと同じファンの一人であった彼女は、明日も8人のメンバーと共に、新横浜で誰にも負けない一番の笑顔を見せてくれることでしょう。
Aqoursはμ’sが打ち立てた「生き様」の素晴らしさを証明し、更に「自分たちなりのスクールアイドルらしさ」や「輝き」といったものを、私たちに見せてくれるのではないかと思います。
そして、それは今日です。
今、この瞬間。
スタジオで練習に励み、0から「輝こう」としているまさにこの瞬間は、2年後や3年後に同じものはもう無いだろうと思います。
今まさにAqoursが本当の意味でスタートを切ろうとしている、そのエンジンが掛かったこの時。
ココロの原動力が初めて奮い立ちスタートを切るその瞬間。
そのトップスピードこそがまさしく、私たちが「ラブライブ!性とは何か」という問題に近づけるものなのではないかと考えています。
おわりに
「現在のラブライブ!サンシャイン!!を語る上で、どんな言葉が適切なのか」
この問題に対し、次回の記事では「テキストマイニング」という方法を用いて考察していきます。
頑張ります。
↓ 続編 ↓
最後に…ぶち壊しになりますが、やっぱりμ’sめっちゃ好きです。
そりゃアニメ始まって4年も追っかけてるんですから当たり前です。
4年あれば携帯の機種変も2回できるし、JKがカシオレをオーダーする年頃にもなるわけです。長いですよ、4年。やっぱりμ’s、思い入れが段違いですし。ホントまた会いたい。
そんな気持ちでAqoursの1stライブに行くのも本当に申し訳ないんですが、やっぱりAqoursもAqoursで好きです。彼女たちが歩んでいくステージは別物だと想うから。
彼女たちが今日、ハマのステージでどんな景色を見せてくれるのか楽しみです。
もうこの記事を真っ向から否定するような言い草ですが、μ’sへの想いなんかを贔屓目抜きにして楽しみたいですね、今日のチケットないけど!!!