テラスハウスの件。

 テラスハウスの件。人によっては読まないほうがいいかもしれません。

 この数ヶ月、いくつか記事にした音楽ネタはあったけど、正直、こんな感じで文章を載せるとは思わなかった。家族が外出する間際にニュースを見て、まるで自分が犯人かのように悟られないようにしてしまったし、それは視聴者=共犯者としての意識が表れた瞬間なのだ、自分の肩にも責任の一端が乗っているのだと思うと、本当に身体が動かなかった。

 原稿の締め切りにはさすが間に合わせないとと思って最低限の仕事はしたけれど、1日を通してなんにもできなかった。昼過ぎに起きて、何もできずに夜になった。自分はあまり政治的な発言を大っぴらにしないように振る舞っているけれど、ここ最近の動向もあって、数日前から検索エンジンのネットニュースを見ないようにしてきた。そして今日は、もう本当に耐えきれなくなってTwitterのアカウントも削除した。仕事があるという建前で、自分は弱い人間だから、そのうちアカウントは元に戻すだろうし、テラスハウスが放送再開した日には、ひょっとしたらそんな日は未来永劫に来ないのかもしれないけど、なんだかんだチェックしてしまうと思う。

 で、これは自分でも薄々気づいていたけど、テラハは本当に悪趣味だなと再認識させられた。毎週火曜日を楽しみにしていた視聴者が何を言っても無駄なのは承知の上で、そんな想像力の欠如した箱庭での模様をスリリングな映像なのだと勘違いしていたのは、本当に自分の悪い部分が出ていたのであって、こういう事件でもない限りは一生認めることができなかったと思う。コロッセオの剣闘士が殺しあう様子を眺める安全な一般市民っていう比喩は、自分でも納得してしまった。

 そして、別に誰にも責任をなすりつけるわけではないが、SNSの発展に伴うTV視聴のあり方や、某書で読んだようなアイドルやタレントのオンオフの境目がなくなっていることなども影響してくると思っている。リアリティショーって考え方はもう今の価値観には合わないのかもしれない。それでも楽しんで見ていたバカが自分なわけだけど。

 正直、そういった性質の番組である以上、人の悪い側面があったらどうしてもSNSでの何気ないコメントなり、何かしらの形で発信すると思う。ただ、別に本人に対してリプライという形で非難をぶつけるのは、自分の倫理感としては少なくとも大間違いだし、本当に意味のない行為だと思っている。それを理解していない人が、今回のニュースが明らかになった後に、関係者のコメント欄で怒りの再生産を繰り広げている図が見るに耐えなくて、結果的にTwitterを見られなくした。

 前から知人友人にはちょくちょく言ってるけど、時期を過ぎたSNSは本当に滅んだほうがいい旧時代的な呪いだし、クラブイベントの生配信などを享受している身で言うのは説得力の欠片もないが、インターネットもなくなってほしいと思っている。クラブイベントの生配信で内輪ノリを引きずって出演陣を困らせているオタクも死ぬほどダサい。誰も幸せにならないから辞めたほうがいい。

 その時々で抱いていた感情は異なるにせよ、毎週欠かさず番組を観ていたわけだから、価値観という意味ではさらさらなく、自分としては距離感として勝手に近いものを感じていた。自分は幸いにも知人友人を自殺などで亡くしたことはないけれども、たぶんこういう感情になるんだと思う。そして今回の件は、自分もそれを楽しんでいたポジションにある以上、本当に先が見えない。ただ、最低な人間という自負はあるから、結局のところ明日の朝には食パンとかを食べて、仕事はするのだと思う。週明けには編集部にインスタ映えしたジャムの写真を送らなければならない。

 でも今回の件は本当に辛い。何にも考えられないし、改めて自分が普段は複数の視点から物事を考えようと意識しているつもりな人間を装って、いざという時には身体を動かすことさえままならなくなる人間だと痛感させられた。こんなにありありと人が自殺するまでを見せられたことはない。そんな過程はもう二度と見たくはない。とても辛い。木村花さん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 追記:自分も仕事で文章を書くし、取材から編集までを去年は一通り経験したからわかるけど、ジャンルなど細々としたことを抜いて大雑把に一言に集約すると、編集っていうのは本当にどうとでもなる。素材を活かせるし腐らせもできる。今回の番組内での一連の出来事も、常に「編集されている映像」として認識はしてきたし、その意識を毎回強く持った上で視聴したつもりでいたけど、足りなかった。編集は怖いし、無知であることは本当にだめだ。

『乃木坂46 3・4期生ライブ』に参加してのアレコレ。

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乃木坂46 3・4期生ライブ』に参加してきました

 11月26日に開催された『乃木坂46 3・4期生ライブ』に参加してきました。会場は国立代々木競技場 第一体育館。2013年に『真夏の全国ツアー』最終公演を開催した、乃木坂46にとって大切な舞台のひとつです。

 今回のライブは、乃木坂46のなかでも比較的に後輩株な3期生と4期生メンバーだけでパフォーマンスをするといったもの。同グループにおける初の試みだったのですが、端的に言ってめちゃ最高でした。基本的に全部最高だったんですけど、なかでも特に印象深かった最高ポイントを紹介していきます。

「日常」の久保史緒里さんはとんでもない

 2018年11月発売の22ndシングル『帰り道は遠回りしたくなる』に収録されている「日常」。センターに2期生の北野日奈子さんを据えたアンダー楽曲です。この日は3期生単独で披露しました。

 パフォーマンス時には「今回のライブで(しかも4期生のパフォーマンスからバトンタッチ、ゴリゴリのダンストラックを挟んでの大事なタイミングで)アンダー曲を披露するのか!」という驚きもあったのですが、何よりインパクト大だったのが久保史緒里さんの表情。それまでのパフォーマンスも圧巻だったのですが、ラスサビ前では不敵なしたり顔を隠すことなく露わにしていたんですよね。これまで舞台経験も豊富なメンバーだけに、なんというか、すごい。

 そんな久保さんといえば、22ndシングル発表時は一時的な活動休止のタイミングも重なり、2作連続だった選抜メンバーを離れることに。彼女が「日常」と出会ったのもこのタイミングです。当時こそアンダーメンバーの一員としてこの楽曲を歌っていた彼女ですが、時を経て同期と4期生を従えた“先輩”、そしてステージを代表するセンターとして、他のメンバーを牽引する姿をとても嬉しく、頼もしく思いました。

「逃げ水」に乃木坂46の未来を見た

 2017年8月発売の18thシングル表題曲「逃げ水」。大園桃子さんと与田祐希さんがダブルセンターにサプライズ抜擢された楽曲です。

 “逃げ水”とは蜃気楼の一種で、その場所には水が存在しないにも関わらず、近づくほどに遠のいて見えるという現象。この逃げ水は、楽曲中で“かつて目指していた夢”として捉えられていて、たとえぼんやりとしたものでも、その存在を信じて進むことが大切だよと歌われています。

 当時の大園さんや与田さんを含む3期生にとって、憧れである1期生・2期生メンバーこそ“逃げ水”のような存在だったことでしょう。未来に向けて背中を押すような歌詞も、ぐっと親身に届いたことかと思われます。その一方、グループとして6年目を迎え、その活動にも徐々に“慣れ”を感じてきただろう1期生・2期生メンバーには、また新たな目標を目指すべく、心新たに鼓舞するようなメッセージとして届いたのではないでしょうか。

 そんな1期生・2期生メンバーの卒業発表が続く現在の乃木坂46。グループが“循環”の季節を迎え、後輩メンバーに“未来”が託されていると謳われて久しくなりました。そんな最中に3期生・4期生メンバーだけで披露された「逃げ水」。これまで、白石麻衣さんや西野七瀬さんが務めてきた、大園さんと与田さんの後ろのポジションには、梅澤美波さんと久保さんがそれぞれ立つことに。そして、大園さんと与田さん自身も、本当の意味のでの“センター”として楽曲の意味を体現していきます。

 かつての楽曲披露時に、参加メンバーの中で最も幼かった2人が、気づけば一周して頼もしい存在感を放つまでになりました。また、3期生以降のメンバーが「ガールズルール」などを披露する機会はありましたが、「逃げ水」という楽曲のオリジナルセンターが3期生の2人だからこそ、乃木坂46の未来を垣間見ている感覚も、また違った角度から実感を伴ってきます。なんというか、リアルなんですよね。

 「逃げ水」の歌詞に込められただろうメッセージも循環して、かつての先輩メンバーに向けられた鼓舞する思いが、現在の3期生に降り注ぐこととなりました。そしてかつての3期生の立ち位置には、4期生が後に続きます。そんな分厚いコンテクストを目の前に、ただ涙を流したばかりでした。

梅澤美波さんはマジで扉を開ける人

 今回のライブ全編を通して進行を務め上げた梅澤美波さん。彼女の存在は、当日の出演メンバー全員にとって大きな支えになったことは言うまでもないかと思います。そんな梅澤さんにとって自身初のセンター曲「空扉」。なんというか、普段のブログなどからもその努力家ぶりが感じられるからこそ、このタイミングで「空扉」を披露した重みをぶつけられた気がします。

 間奏では、梅澤さん、久保さん、山下美月さんが、先輩メンバーに向けて「乃木坂46を受け継ぎ、もっと大きなものにしていく」という宣誓も果たしました。乃木坂46というグループの明るい未来に続いていく、また新たな扉を開くためには、3期生のまとめ役である梅澤さんを欠かすことはできないでしょう。まだ新キャプテンも発表されたばかりですし何とも言えないですが、彼女の存在に大きな安心を抱く先輩メンバーも多いのではないかと感じています。

2013年10月6日

 本編終盤には、2012年2月発売の1stシングル表題曲「ぐるぐるカーテン」を披露。ここでは、冒頭に記した2013年開催の『真夏の全国ツアー』最終公演のコンテクストを踏襲すべく、この曲を選んだと遠藤さくらさんから明かされました。その際に印象的だったのが、「2013年10月6日……」という、乃木坂46を構成するエモポイントのひとつである日付や天気などの情報の朗読。なぜだかとても感傷的になってしまいます。オタクは日付に弱い。

今回のライブにおける成功とは?

 そんなライブ全体を通して疑問だったことがありました。今回のライブにおける“成功”とは何だったのか。正直なところ、3期生・4期生ともに過去に単独ライブは経験していて(しかも4期生は武道館ワンマン)、あくまで勝手なイメージですが、今回のライブはそこまでハードルの高いものではなかった気もしていました。

 そう考えると、このライブの目的とは一体。おそらくそのひとつは、3期生・4期生同士がより密接に交流を深めること。そしてもうひとつは、おそらくグループを“継承する意志”を、後輩メンバー全体で外部に発信することだったのではないかと思います。

 「逃げ水」の項目にて記した通り、現在の乃木坂46を語る上で“メンバーの循環”はもはや必ず言及されるトピックのひとつです。たしかに、これまでメンバー個人間でのやりとりや、ブログでの発信はありました。しかし、後輩メンバーのほぼ全員が揃って、ステージ上で今後に向けた“所信表明”をする機会というのは、そう多くはなかったかと。それらを踏まえるに今回のライブの成功には、2日間の満足いくステージング、そしてメンバー自身が今後に向けた決意を固めるという2種類の条件があったように思います。

ライブを体験してのアレコレ

 ここからは余談。与田祐希さん好きの筆者ですが、会場ではほぼ目の前に花道があったにも関わらず、なぜか与田さんが通る時だけ瞳の焦点が合わない…。何度も何度もこっちに来てくれてるのにです。ちょっとあまりにも存在が輝かれすぎてたので、流石に後半は困りました。あんなに近くで見れること、今後数年はないと思うのに……。

 あと、4期生の推しメンで今までめちゃ悩んでたんですけど、ライブ冒頭で心が決まりました。乃木坂46 4期生は、、、清宮レイちゃんでいきます。とても好きです。

 そんな『乃木坂46 3・4期生ライブ』が最高だったよっていう話でした。 

 

なんだかんだベルリンが好きーー香山哲『ベルリンうわの空』を読んで

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 香山哲さんのコミック『ベルリンうわの空』を読んだ。自分もベルリンに住んでいた経験があるので、共感するシーンの多かった印象がある。ベルリンにいると、何もしたくなくなる。東京にいても何もしたくないのは一緒だけど、“生活”という言葉が東京とベルリンではまた違った響きになる。それは自分が当時、学生という立場を使って労働をせずにほっつき歩いていたからかもしれないけれど…。

 ちなみに、自分は現地でベルリンの歴史を学んでいた。毎日のようにケバブとピザを食べて、スーパーでは飲料水とハイネケンを買い込む毎日だった。アパートの水道からはたまに泥水が出てきたり、色々なビールを試すなかで、最終的にハイネケンの瓶が一番美味しいと気付いたからである(ちなみに日本で買うと250円くらいする、高い…)。

 帰国後に課せられた卒業論文では、ベルリンに住まうトルコ系移民労働者たちと、現地のギャングカルチャーの形成や治安問題、さらには薬物売買に関する現状の関係性を考察した。曲がりなりにも1年間はベルリンの歴史を(一応ドイツ語で)学んだわけだし、1989年と聞けば「=ベルリンの壁崩壊」と即答できる。卒業論文も教授には結構ウケた。そこそこベルリンの歴史に詳しいと思う。

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 だからこそ、あのコミックで描かれていたベルリンと、自分の体験してきたベルリンには、ちょっとした違いも感じた。前者はアーティスティックな生き方だった。後者は冬の季節に街を覆う雲と一緒で、なんとなく空虚な印象だけが残っている。

 初めての海外で言葉もままならないまま夜の空港に降ろされ、タクシーで自宅まで到着した際に謎に大量のチップを運転手に渡したり、アパートの鍵が開かずに野宿を決意したり...(その後うるさくしてたら他の住人が助けてくれた)。美談にできるようなエピソードもないし、「そんな多様性もベルリンらしさだよね!」というオチに結びつけるわけではないが、なんというか、あの作品を読んで、自分のベルリンでの体験が年を増すごとに大切な時間になってきていることに気付いた。当時は1日でも早く、いま座っている自宅のソファーに寝転げたかったわけだが...。

 「21歳で留学は早かった」が、1年間の生活を通しての所感なのだが、ぶっちゃけ今から留学行ってもあまり変わらないと思う。内弁慶なのも、結局は日本のエンタメが好きなのも、どこに行ってもパソコンをいじっているのも、あんまり変わらない。ただ、今なら日本の会社で働きたくないからという理由で、また違った方法でベルリンの街の雰囲気に身を預けていたのかもしれない。当時の自分なら挽回できた。

 というのが、自分なりのベルリン。『ベルリンうわの空』は、ベルリンに触れる入門書的として、非常に興味を惹いてくれる作品だった。そして、すでにベルリンを知っている人にとっては、その内容から現地での時間に思いを馳せると同時に、“それぞれのベルリン”に繋がるレールを引いてくれる(結局言ってしまった...)。ぜひ一度、読んでいただきたい。

なんとなく12年前の映画を視聴した話

 4月からの新生活を控えて、過去の自分を成仏させるべく、今まで溜めていた音楽/映画を視聴するようにしました。なんとなく、今日この日に観た方が良いんだろうなと思い、Amazon Prime Videoに。今でこそほぼ無料でドラマや映画を手軽に視聴できるものの、昔は考えられなかったなと。

 

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 選んだのは、自分が当時12歳の小学6年生の頃に流行った映画。当時は売り出し中の女性シンガーソングタイター主演で、劇中の細かな設定も本人に寄せたもの。大きく異なるとすれば、その役柄が難病を患っていることです。当時は彼女の作品にハマってました。初めて買ったCDも、当時リリースされたばかりのアルバムでした。今でこそ乃木坂46をはじめ、数々のアイドルや女性声優アーティストの作品を自宅で垂れ流しているものの、小学生という小さな器の自意識では、女性アーティストについて、公衆の面前や母親の前で堂々と好きと宣言するのは勇気がいるもの。結果として、隠れキリシタンのような気持ちで彼女の活躍を観ていました。そんな彼女が映画主演を張るともなれば、自然と気になってしまいます。

 

 時は流れ、2019年。12年の時を経て、観ました。映画、ぶっちゃけ微妙でした。当時のティザー映像などで大まかな内容を知っていたのと、“難病”という設定から大体のオチはわかっており、その過程が気になっていました。ただ、どうしても内容が薄っぺらいのと、デビューして間もない彼女のプロモーション映画にしか感じられなかった。良い映画だとは思ったけども。もしかすると、当時12歳の自分だったら涙を流していたかもしれません。ただ、今の自分では舞台の鎌倉が綺麗だったり、在りし日の彼女の姿を撮影した大型ビデオカメラが、今となっては時代の産物になってしまった…と、画面の前で思考するなど。思い出は思い出のままにしておいた方がよかったとは思いませんが、ようやく以前の自分を成仏させられたと思うと同時に、少し落胆してしまったのも事実です。

 

 そもそも、私は映画作品で視聴者の心を動かすために、人を殺したり病気をもちだしたりする話があまり好きではありません。取ってつけたように人を不幸にしたところで、彼らやその病気を“道具”として利用しているような気がするからです。あと、自分の親族も病気で亡くなっているので。そして今回の映画もまた、結局のところ病気に対する具体的な描写は挟まれず(挟まれると逆にリアルすぎるとも感じられますが)、背景事情があまり感じられないなと。ただ、観ないよりはよかった。思い出だけで片付けなかったことや、そんなプロモーション事情まで考えられるようになった(なってしまった)のは、自分の成長なのかなと感じました。

 

 本当はここで締めようかと思ったのですが、そんな彼女の音楽作品を改めて聞いてみました。なんだかんだ良い曲が多かったです。シンガーソングライターということで、作詞作曲は自身によるもの。となると、アレンジャーの存在が気になるところ。パパッと調べてみると、現在の自分をここまで導いてくれた、あるいはビジネスという形で文章を通じて紹介してきた、数々のアーティスト作品に参加をしている方でした。今でこそ何もわからない、雰囲気で音楽を聞いている自分ですが、小学生当時の耳はまだ死んでいなかったようです。我ながら良い感性をしていたんだなと思いました。決して自分がアーティストに対してアプローチをして、何らかの功績を残しているわけではありません。しかし、小学生当時、片手に札券を握りしめ、ヨドバシカメラで3000円のアルバムを買った経験が、今に繋がっているのかと思うと、少しだけ嬉しくなりました。映画こそ100点満点でいえば60点くらいなものの、少なからず自分のパーソナリティを掘り下げられた、少しだけ貴重な時間になりました。

向井太一、Gottz(KANDYTOWN)、山崎エリイ……2018年を締めくくるmasawadaさん必聴楽曲5選

 本稿は「masawada Advent Calendar 2018」に寄せたものです。

 masawadaさんとは、約2年前に本ブログを通じて知り合い、何度かお食事をご一緒させていただきました。ただ、まだプライベートなことやお仕事については未知な部分が多いので、今回は音楽の話でお茶濁しをさせていただけますと…。来年からは同じ社会人として、お酒など楽しめますと幸いです。

 今回は年末企画ということで、今年10月以降にリリースされた日本語楽曲をピックアップ。なかでも、masawadaさんに聴いていただき、次回のお話のネタにでもできれば…と考え、全5曲を紹介させていただきます。

 

向井太一「Break up」

作詞:向井太一、作曲:向井太一、CELSIOR COUPE

Co-Produced by ☆Taku Takahashi(m-flo) 

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向井太一『PURE』(通常盤)

 11月28日発売の2ndアルバム『PURE』収録曲。タイトルは、向井がリスナーに対して、“純粋”に伝えたい想いが募っていたが由来とのこと。彼の得意とするR&BAORを主軸に、現代の東京に漂う湿度の高い“空気感”を切り取った傑作。

 「Break up」は、男女の別れを描いた楽曲。その内容に反して、2ステップビートを組み込むなど、ハイテンポなトラックを用意。プロデュースを担当した☆Taku Takahashi(m-flo)が持つ記名性の高さを存分に感じ取れる。また、AメロからBメロに移る際のドライブ感は心地よく、サビ前にクレッシェンドするバスドラムもまた、m-floらしい特徴的なサウンドだ。なお、同アルバムにはmabanua蔦谷好位置をはじめ錚々たるクリエイターが集結。前者による「Haters」、後者との「Answer feat. KREVA」、Chocoholicによる「Ego」など、バラエティに富んだ楽曲が揃っている。

 

Gottz「The Lights feat. Ryugo Ishida, MUD Prod by Neetz」

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Gottz『SOUTHPARK』

 10月17日発売の1stソロアルバム『SOUTHPARK』収録曲。同作は、全編を通じてトラップビート主体としている。そのため、KANDYTOWNがこれまでリリースしてきた作品とは少々異なるイメージとなった。

 「The Lights」は、同クルーのNeetzがビートメイクを担当。ネオン街を思わせる退廃的でメロウなトラックは、アルバムのなかでもアクセントになっている。同楽曲で感じるのは、同じくKANDYTOWNに所属するMUDの立ち回りにおける器用さだ。彼は同クルーのなかでも、数多くの作品に客演として参加するなど経験も豊富。今回担当したフックでは、歌詞の末尾はタイトに韻を落としながらも、全体的には流した歌い方に聴こえるのが彼らしい。

 また、GottzとRyugo Ishidaにも触れておこう。かねてより親交のある彼らは、楽曲を通じて特に相性の良さを発揮した。Ryugo Ishidaに感じる“ロックスター”の佇まいは、ルックスを含め、クルーのなかでも“ドープ”な印象のGottzと重なる部分がある。だからこそ、同楽曲も非常に引き締まったものになったのかもしれない。余談だが、『FNMNL』でのGottzのインタビューは本当に面白いので必読。Lil'Yukichiからのビート提供のくだりはは、思わず爆笑してしまう(参考:【インタビュー】Gottz 『SOUTHPARK』| KANDYTOWNらしさは意識していない)。

 

早見沙織「little forest」

作詞・作曲:矢吹香那、編曲:前口 渉

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早見沙織『JUNCTION』(初回限定盤A)

 12月19日発売の2ndアルバム収録曲。早見沙織は同作に収録された全14曲のうち、10曲で作詞作曲を担当。彼女のシンガーソングライターとしての才能を本格的に打ち出した一枚となった。また、その音楽ジャンルはソウルやジャズを中心にしながらも、楽曲の向いている方向は外交的/内向的まで様々。アルバムを通じて、それらの楽曲を“繋いだ”のは、まさしく“ジャンクション”というタイトルの体現といえる。

 「little forest」は、アルバム終盤に収録されており、作詞作曲を矢吹香那が担当。スローテンポでほのかな陽射しを感じるような、終始に温かみを感じる楽曲だ。なかでも特徴的なのが、中盤から奏でられるジャジーなトランペット。楽曲のアーバンな印象をより前面に押し出すほか、音の厚みが増されることで約3分のミニマルさながらも、高い満足度を得られる一曲となった。そのほか、アルバムでも特にレコメンドしたのは、「メトロナイト」「夏目と寂寥」「SUNNY SIDE TERRACE」「Blue Noir」など。

 ちなみに、「little forest」を聴いて思い出されたのが、放課後ティータイム「いちばんいっぱい」や楠田亜衣奈「アイ・アム」、延いてはThe Beatles「Penny Lane」など。どれも「little forest」に似た、ブリティッシュな雰囲気を感じる楽曲、、、なのかもしれない。

 

Shiggy Jr.「TUNE IN!!」

作詞作曲:原田茂幸

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Shiggy Jr.『DANCE TO THE MUSIC』

 12月5日発売のアルバム収録曲。同作は、<ビクターエンタテインメント>移籍後、2枚目のアルバムにあたる。また、プロデューサーは音楽クリエイター集団<agehasprings>の釣俊輔が担当。全編を通じて、誰が聴いても楽しくなれるような、ダンスポップに振り切った一枚となった。

 「TUNE IN!!」は、日々の“アレコレ”を忘れて、カーステレオやラジオから流れる音楽に身を任せようと誘うパーティチューン。色調の明るいストリングスなども印象深いが、なかでも注目したいのは度重なる“ブレイク”だ。同楽曲では、“キメ”の多さがアニソンとも匹敵するほど。BAD HOPのYZERRに言わせれば、メロディラインを含め“内なるJ”を感じざるを得ない。また、今作でダンスポップに腰を据えたことから、自作の方向性も気になってくる。なお、“内なるJ”に関する詳細は参考記事の紹介で割愛したい(参考:BAD HOP、大ヒット中の新作『Mobb Life』 クルー内の共通言語「内なるJ」とは)。

 

 山崎エリイラズベリー・パーク」

作詞:只野菜摘/作編曲:坂部剛

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山崎エリイ『夜明けのシンデレラ』(初回限定盤)

 11月21日発売の2ndアルバム『夜明けのシンデレラ』収録曲。同作は、前作アルバム『全部、君のせいだ。』から約2年ぶりのリリースとなった。また、山崎エリイは昨年20歳に。今回のアルバムでは、“子供と大人の過渡期”にあるだろう彼女の心持ちを反映するかのように、歌詞の内容や取り扱う音楽ジャンルもほんの少し背伸びを感じる。それを示すのが、タイトルとなった“夜明けのシンデレラ”というフレーズ。“シンデレラの魔法”が解けた瞬間から、自身の力で未来を切り開いていくというアルバムコンセプトは、彼女のアーティストにおける現状とも大きく重なるところがある。

 「ラズベリー・パーク」は、アルバムのラストナンバー。これまで内田彩「ピンク・マゼンダ」などを手掛けてきた、作詞・只野菜摘と作編曲・坂部剛の強力タッグによる楽曲だ。また、驚くべきはその再生時間。一般的なJ-POP楽曲の再生時間は5分ほどに収まるところだが、「ラズベリー・パーク」はおよそ9分弱。既存の声優アーティスト楽曲におけるボリュームを大幅に超えている。

 単発的なピアノの打鍵から始まる同楽曲は、ベースやギターはもちろん、中盤に可愛らしいマリンバや鉄琴の音色を重ねる。その後は、エレクトロニカを交えて落ち着きを見せつつも、終盤にはブレイクコアやポストロックを意識したサウンドで、重圧なサウンドに変貌。それに伴い、山崎の歌う歌詞も〈ようこそ ようこそ ようこそ〉とシンプルに。まさに“夜明け”の時間帯を思い起こさせるような、ぼんやりとした陶酔感を感じさせる。また、山崎の歌声が徐々に“神聖さ”を纏っていくのには、コーラスを何層にもダビングしていることに理由があるのだと思われる。

 「ラズベリー・パーク」の類まれなトラックと楽曲ボリュームからは、彼女と制作スタッフがさらに実りある音楽活動を目指していることが想像できた。今年リリースされた声優アーティスト楽曲のなかでも、間違いなく指折りな一曲だ。

 

乃木坂46「帰り道は遠回りしたくなる」

作詞:秋元康 作曲:渡邉俊彦 編曲:渡邉俊彦、早川博隆 

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乃木坂46『帰り道は遠回りしたくなる』(TypeA)

 最後に、宗教上の理由(与田祐希ちゃん…)から、もう一曲だけ紹介したい。それは、11月14日発売の22ndシングル『帰り道は遠回りしたくなる』表題曲。同作は、年内でグループを卒業する西野七瀬にとって最後のシングルとなった。

 「帰り道は遠回りしたくなる」は、別れに際する寂しさを、“強くなる”ために踏み出す一歩として前向きに捉えた楽曲だ。楽曲を通じて奏でられる透き通るようなストリングスが印象的なのだが、特に耳に残るのはBメロ終盤の譜割り。〈僕の夢は ここではないどこかへ〉という一節の1番では、〈ここ・では・ない・どこ・かへ〉といったように歌唱。ここまでの歌い回しと異なり、3連符かつ最終拍に休符をあてている。これは、最新トレンドのヒップホップにも通ずるもので、面白い試みだ。もちろん、このような細かな要素を抜きでも素晴らしい楽曲だ。しかし、「乃木坂46には良い楽曲が多い」と謳われる背景には、今回のようなギミックがあるのかもしれない。

 

 2018年は、ポップスからヒップホップ、声優アーティスト楽曲まで、数多くの喜びと驚きを感じられた一年になりました。来年もまた、実りある文化的な生活を過ごしていきたいものです。そしてmasawadaさん、2019年もどうぞ宜しくお願いいたします。

KANDYTOWNにも、本物の“シティボーイ”にもなれないまま、社会の犬へと没落しそうです。

 今まで隠してたんですけど、自分って“シティボーイ”らしいんすよ…。

 

 というのも先日、渋谷・宮下公園のあたりを歩いていたところ、岐阜から来たという男性2人に「お兄さん、この近くで美味しい居酒屋とか知らないですか?」と尋ねられ、話を聞くに「ここを通る人を何分か見ていて、一番シティボーイっぽい格好をしていた」から声を掛けたとのこと。現状の“シティボーイ”という言葉が、時に蔑称として用いられるのはさておき、その日の服装はゆったりめなブルーのL/S、ベージュのディッキーズ、HUFのオールコートでNorth Faceバックパック。たしかにスケートボーダーっぽい身なりながらも、渋谷ではあまり遜色のない格好だし、「ひょっとしたら怪しい勧誘の枕だったんじゃないか…」と頭を過ぎるも、その後は“シティボーイ”の響きから若干の悦に浸ったのでした。

 

 そんな私は東京・駒沢出身の23歳、大学4年生。就職活動も無事に終わり、バイトと音楽系のインターンシップに通う毎日です。音楽は人並みにチェックしていて(しているはずで)、好きなアーティストはYOUNG JUJU、乃木坂46内田彩。ディズニーランドは行ったことないけど、ライブは月に何回も訪問しています。そんな今年は先輩と『サマソニ』でChance The Rapperも観たし、先月は尾道にも旅行に行きました。あとは、一昨年はドイツ留学をしてピザ屋のブラザーと仲良くなったり、帰国後には毎日のように大手町でスケボーしたりと、ここまで振り返って「案外イケてるな」と内心は思っていたり。ただ、致命的なまでに顔面がダメで、喋り方もコミュ障のそれ。もちろん、彼女はいない。当然です…。

 

 ここで、冒頭の一文を全て否定します。自分はたぶん、本物のシティボーイじゃないです。たしかに、幼少期に過ごしたのは駒沢で、字面だけ見ればそこそこのクラスかなと。ただ、世の中には本当にクールなシティボーイがいて、それが東京・喜多見出身の16人組ヒップホップクルー、KANDYTOWN。先述のYOUNG JUJUも、同クルー所属のラッパーで、昨年末に<ソニーミュージックレーベルズ>とメジャーディール締結したりと、国内シーンでも有数のイケてる兄ちゃん。同じ世田谷育ちでも、彼らには勝てないですわ。

 そんなKANDYTOWNの代表曲は「R.T.N」や「Get Light」など様々ですが、どれも都会の若者に特有の“余裕”を感じさせます。特に喜多見は、下北沢〜経堂〜成城学園前〜喜多見〜狛江〜登戸といった、都内でもかなりの富裕層が住む小田急線沿いの土地柄。渋谷や新宿と遠く離れていないながらもそれほど大都会ではない、自然溢れるベッドタウン的な、住み心地の良い地域です。それもあってか、彼らの楽曲では決して都会に居座ることに拘らず、25時を過ぎたあたりで“Town”に集まり、“City”のパーティに繰り出して手早く帰路につくといった、いかにも“余裕”のある生き方を歌っています。正直なところ、リリックで深い内容が語られるのかといえば、その解像度はそこまで高くもないのですが、個人的にはそんな楽曲としての“隙間”や“空間”も好きだったり。また、クルーは全員が幼馴染で、かねてからの音楽活動も結実。結成までには仲間の逝去もありながらも、やはり成功者と評せるのでは。そんなKANDYTOWNこそが“本物のシティボーイ”であれば、私はたぶん足元にも及ばないですね。

 

 とはいえ、なんとかシティボーイとして今後を生きていきたいと、その定義を調べていたところ、以下のようなイメージ画像を見つけました。イラストがお上手。そしてなんと幸運なことか、私はこの条件のほとんどに当てはまっています。項目ごとに振り返りましょう。

 まずは職業、これは大学生なのでスルー。ちなみに内定先は出版系。続いてコーヒー、これはスタバのコーヒーが一番好きです。音楽に詳しい、これはインターンとかやっていますが、何とも言えないのでスルー。日本のラップ、IOと5lackはどちらも聴いています。ちなみにIOは、KANDYTOWNのクルーですね。あと『POPEYE』読者でもない。先述した「シティボーイが蔑称…」のくだりは、同誌を意識したので書きました。あの雑誌はエセなシティボーイばかり生み出している気がします、個人的に。そして最後に、Primeのスケボー。いや驚きました。私がスケボーを買ったのも、この内神田にあるPrimeというショップなんですね。

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 ここで思いました、「あれ、ひょっとしてシティボーイか?俺は駒沢出身のシティボーイなんじゃないか?」と。そして同時に、大切なことに気付きました。いや、そもそもシティボーイって、結局は精神性も絡むんじゃないのかと。

 

 ヒップホップにおいて、ラップのスキル云々はもとより、何よりも重視されるのが“精神性”。その定義に賛否両論はありながらも、ゼロ年代ではMACCHO(OZROSAURUS)ら、テン年代ではANARCHYやKOHHが高い評価を得ているのには、やはりどこかストリート育ちの精神性にヒップホップ独自の美学を感じるからなのかもしれません。つまり、プロフィール上でいくらラッパーを名乗っても、それに足る精神性が備わっていないと意味がないのではないかと。

 

 翻って、それはシティボーイも同じなのではないでしょうか。KANDYTOWNクラスだけが本物のシティボーイだとすれば、それは物凄く限られた定義です。ただ、ここまで幅広くその言葉が用いられているのであれば、もう少し解釈は広げられるでしょう。一般人クラスでも、シティボーイには分類されそうです。それでは、これで晴れて私がシティボーイになれるのか。なれません。いや、だって自分、かなり前に「致命的なまでに顔面がダメで、喋り方もコミュ障のそれ。もちろん、彼女はいない」って書いてるじゃないですか。自分に自信のないシティボーイとか、ダメでしょ。

 

 インターネットが全国に普及した2018年。若年層のLINEユーザーは99%にまで登ります。とは言いつつも、やはり都会と地方都市ではどうしても“文化的格差”を埋められることはできないのが現状です。ライブとかアパレルとか見れば、東京にはあって地方にはないみたなのばかりじゃないですか。東京では毎週クラブのゲストで見るラッパーも、地方には年に数回しか来ないみたいなの、ザラですよね。

 

 それを踏まえると、私は全国の若者の枠組みから見れば、どちらかといえばKANDYTOWN寄りで文化的な人材だと思います。それでも、あくまでそれはプロフィール上のみ。そこに精神性が備わっていないから、いつまでも彼女ができない腐れ大学生のまま、社会の犬へと没落するのでしょう。先日の岐阜からいらした方々、あなたたちのコミュ力をもってすれば、私のシティボーイ性などワンパンで崩れ落ちますよ。